脱むー通信/ちゃんくみ個人ブログ

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本厄、あける

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本厄があけた。

 

恥ずかしながら、最近まで厄は元旦にあけるものだと思っていたのだが、どうやら節分までだったようで。

 

今月になってやっとこさ、あけた。

(現在まだ後厄の期間ではあるが、私は前後厄はカウントしない)

 

私の本厄は本当に散々たるものだった。

 

軽く例を挙げると、


・謎の全身蕁麻疹×3回(後にウイルス感染と発覚)
・人生初の全身麻酔による手術
・腫瘍疑惑により多額の検査費用を請求される
・夫がスピード違反で免停


などなど。

 

ある意味充実した厄年であったと胸を張って言える。

 

でも、体調を崩しがちだった分、本や漫画を読む時間がたくさん取れ、趣味の世界が広がった。なので私の中ではプラマイゼロ。

 

辛い時期、物語にたくさん励ましてもらった分、私も声や文章で誰かを励ませたらな、とブログの更新頻度が一向に上がらない私は思うのであった。

ある日の朝

浅い眠りから眼が覚めると、空虚と頭痛が同時に襲ってきた。昨日の夜、ヤケになってたくさん飲んだ赤ワインがまだもったりと体に残っている。独りで飲んで二日酔いだなんて、情けない。

 

買い置きしておいたダカラを冷蔵庫から出し、ぐいっと喉に流し込む。ひんやりとした液体が空っぽの胃に流れ込んで、やっと目が開いた感じがした。カラダ・バランス飲料ってCMでも言ってるぐらいだから、これで昨日のアルコールもチャラになるぐらいバランスとれただろうと勝手な解釈をしてみる。

 

トイレ→歯磨き→洗顔→スキンケア→スーツに着替える→メイクといつものルーティンをこなし、髪の毛は適当に後ろでまとめた。今日はヘアセットまでする気持ちの余裕はない。

 

マンションから徒歩5分の国分寺まで小走りで駆け込んだ。別に急がなきゃいけないような時間でもなかったけど、なんだか走りたい気分だったから。

 

いつもより1本早い電車に乗り込んだ瞬間、どっと体が重くなった。二日酔いなのをすっかり忘れていた。走るんじゃなかった。つり革に体重の殆どを預け、呼吸が整うのをじっと待つ。

 

通勤の電車の中では、音楽を聴きながらツイッターを見るのがあたしの日課だ。でも今日はあのニュースが流れてきそうなので見ないようにする。もうこれ以上自分の傷をえぐりたくない。ドア近くに陣取っている女子高生3人組の声も聞こえてこないようにiPhoneの音量をいつもより2つ上げている。

 

ぼーっとしてると嫌な妄想をしてしまう。気分を紛らわせようと何年か前にダウンロードしたっきりのKindleを開いた。昔好きだった恋愛漫画を読んでみるけど、全く頭に入ってこない。前はあんなにハマっていたのに。先週「やっぱり二次元より三次元!」って言ってたな、あたし。もう二次元のイケメンにはときめかない体になってしまったのかもしれない。

 

ふと斜め前を見るとスーツ姿のカップルが手を繋いで並んで座っていた。ひそひそとした話し方が鼻につく。完全に八つ当たりだってことはわかってる。でも今日だけは八つ当たりさせて欲しい。

 

そういえば自分にはずいぶん長いこと彼氏がいなかったな、と思う。もう何年とか数えるのはやめてしまったけど。この先、あたしは誰かに恋できるのだろうか。あの彼にときめいたように誰かにドキドキできるのだろうか。こんなこと考えるなんて馬鹿げているのはわかっている。恥ずかしくて誰にも言えない。無かったことにしてしまえるならそうしたい。でもできない。そんなことをぐるぐると考えながら、誰にも聞こえないようにひっそりとため息をついた。

 

するとiPhoneが短く振動した。親友のまゆみからのLINEだ。

 

「ニュースみた?福士蒼汰熱愛!!超ショックだよねー(T_T)」

 

あ、そうか。ショックだったのは私だけじゃないんだ。ショックって言ってもいいんだ。

 

「超ショックだよー(T_T)今日は飲みに行こう!ヤケ酒だ!ww」

 

送信ボタンを押した瞬間、気持ちがフッと軽くなった。そうだあたしはテレビの向こう側の彼に恋をして、失恋したんだ。本当に付き合えるとか思ってたわけじゃない。けどショックなものはショックなのだ。仕方がない。べつに笑われたっていい。恥ずかしいことかもしれないけど、これがあたしなんだ。

 

もうすぐ新宿駅
あたしのリアルな1日がはじまる。

 

 

*******************

 

 

福士蒼汰くんファンの女の子の気持ちを勝手に妄想して書いてみました。完全にフィクションです。(私はワインも飲めないし、新宿で働いてもいません)

 

芸能人の熱愛報道にショックを受けるのはなぜかということについてPodcastでも語っていますので、お耳がお暇でしたらどうぞ。↓

 

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あだ名を変更する

高校二年の春、私はあだ名を変えた。

 

私は物心ついた頃から下の名前二文字を取ってちゃんを付けた、ごくありふれたあだ名で呼ばれてきた。私の平凡な名前に見合った平凡なあだ名であった。でも同時に、それがずっと不満だった。

 

私が高校一年生の頃、世間ではモーニング娘。が大ブームで、苗字呼びがおしゃれ、みたいな風潮があった。モー娘。メンバーがテレビの中で自分のことを苗字で呼ぶたびに、私も苗字で呼ばれたい、いい加減あだ名を変えたい、という欲望がムクムクと膨らんでいった。

 

 

高校二年になり、クラスメイトの顔ぶれがガラッと代わったとき、私は「今だ!」と思った。あだ名を変えるなら、今このタイミングしかない。

 

始業式の放課後、同類っぽい匂いを感じて集まった女子グループのメンバーに、苗字の方を使ったあだ名で呼んでほしい旨を伝えた。たまたまその中に苗字で呼ばれていた子がいたために、なんだかコンビっぽいねとその案はすんなり受け入れられた。私の夢はあっさり叶った。

 

私はその苗字を使ったボーイッシュなあだ名に見合うべく、髪の毛もベリーショートにし、すでに目覚めていたメイクもやめてすっぴんで過ごすようになる。「〇〇って面白い!」、「○○って男前!」と言われ、完全にいい気になっていた。

 

果たして新しいキャラクターを作ることに成功した私は、1年間「新・私」として立ち振る舞った(つもりでいた)。完全に「他者から見られている自分」を思考の中心に置いた生活。自意識が爆発していたんだと思う。

 


三年生に学年が上がると、中学から仲のいいメンバー数人と同じクラスになった。
当然のように昔の下の名前のあだ名で呼ばれるようになったが、一度夢が叶ってしまって満足した私は、特に訂正することもなくそのまま過ごした。

 

そして私は「旧・私」として高校を卒業した。

 

 

数年後、私は赤面することになる。

 

高校二年の時のクラスメイトだけが今も私を苗字で呼ぶのである。そりゃそうだ。彼女たちには何の罪もない。

 

当時の友達が私を苗字で呼ぶたび、他の友達に「二年のクラスの子ってなぜか苗字の方で呼ぶよね?」と言われるたびに、自分の自意識過剰な言動を思い出し、恥ずかしさで爆発してしまいそうになる。

 

 

高校二年の時に思い付きでしてしまった「あだ名の変更」。
それはとんでもない負の遺産となり、今でも私を地味に苦しめ続けている。

母という人

母は私をGoogleか何かだと思っている節がある。日常生活で何か疑問が湧いて来ると、すぐに私にLINEをしてくる。

 

「ベージュって何色?」(説明しづらいわ)「トゥギャザーしようぜってどういうこと?」(ルーに問い合わせてくれ)など、なぜ私に?という質問がほとんどで、めんどくさいと思いつつも、知らないでいるのもなんだか可哀想だから一応教えてあげている。私って、優しい。

 

母は、誤字脱字・言い間違いも日常茶飯事。昨日はLINEで「ととい」と一言だけ送られてきた。全く訂正もしてこないので、未だに何が言いたかったのかは不明。

 

私の母はおバカなのである。

 

小学生の頃、宿題でわからない問題にぶち当たり、母に尋ねたところ、「その授業の時はちょうど保健室にいたからわからない」と堂々と言われた。純真無垢な子どもであった私は「そういうこともあるのか」と思った。そしてその後、私に勉強を教えてくれたことは一度もなかった。

 

高校3年で進路選択をする時、何も口を挟んで来ない母に意見を求めたことがある。母は「難しいことはちょっとよくわからない」とだけ言った。

 

幼い頃の私にとって、母は人である前に母であったし、母という生き物は無条件ですごいと思っていた。でも、母もちゃんと人である、と大人になってから知った。

 

未だに未熟なところもあるし、抜けているところもたくさんある。でも私はそんな母を、「バカだなあ」と言いながら、昔よりずっとずっと愛おしく感じている。

私はビールが飲めない。

私はビールが飲めない。

 

まぁ、ビールに限らず、酒類は基本的に苦手で、飲むとたちまち顔は赤らみ、目は充血し、ガンガンと一定のリズムで頭痛がしてくる。ひどい時にはお腹や背中に斑点ができたりする。

 

もともと飲み会の席自体が苦手で出席することが少ないので、酒が飲めないことに関してあまり苦労をしたことはない。だけどビールだけは飲める大人になりたかった。

 

私は10代の頃からビールに憧れ続けている。流行りのドラマで、主人公がお風呂上がりに濡れた髪をガシガシと拭きながら缶ビールをグイッと飲む姿は最高にかっこよかったし、村上春樹作品の主人公がビールを飲む姿はオシャレでセクシーだった。私も大人になれば自動的にビールが飲めるようになる。いやむしろ、ビールが飲めるようになる=大人になることなんじゃないかぐらいに考えていたと思う。

 

でも結局は、ビールが飲めない大人に成長してしまった。がっかりである。

 

先日、大学時代の女友達と久しぶりにごはんを食べる機会があった。その時私はオレンジジュース、友達は瓶に入ったオシャレなビールを飲んだ。なんでもない、みたいにビールを飲む彼女がひどく大人に見えて、なんか私だけ全く成長していないような気になってきて焦る。そういえば、彼女は今すごく立派な資格の勉強をしているし、何度か転職をしていて社会人経験も豊富、結婚したのだって私より随分早かった。私が憧れたドラマの主人公みたい。一方私はビールも飲めないし、胸を張って発表できるような特別な人生経験もしてきていない。この差はなんなんだろう。なんだか辛い。そんなことを考えながら舌が溶けるほど甘いオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。

 

帰り道、彼女は背負っているリュックにいつもハリネズミのぬいぐるみを入れていて、そのハリネズミを「おもち」という名前で呼んでいるということを教えてくれた。おもちちゃん。メーカーの製造ミスで変なところから手が生えている、とってもとっても可愛いぬいぐるみだった。

 

わたしのおばあちゃん

「おばあちゃん、くみこだよ」

 

年末年始の帰省で秋田に戻っていた私は、帰省1日目におばあちゃんの家を訪れた。

 

おばあちゃんに帰ってきたよ、と伝えたものの、おばあちゃんはわかっているのかわかっていないのかどちらともつかないような顔でにこにこと微笑んだ。

 

おばあちゃんは10年前からアルツハイマーを患っている。薬を飲んでいるので緩やかではあるが、この10年でいろんなことを忘れてきている。最近では、一緒に住んでるおじいちゃんと、毎日様子を見にいっているお母さん以外の人のことはよくわからなくなっているようだった。

 

私は昔から筋金入りのおばあちゃん子で、小中高校時代、実家を離れておじいちゃんおばあちゃんと3人で暮らしていたほどであった。超がつくほど几帳面で厳しいおばあちゃんだったので、たくさんケンカしたし、反抗もした。「ゴミを捨てなさい」「部屋を片付けなさい」「早くお風呂に入りなさい」仏頂面であれこれ言われて(おばあちゃんはあまり笑わない人だった)煩いなぁめんどくさいなぁと思いながらも、それでもやっぱりおばあちゃんが大好きだったし、おばあちゃんも私を大切に思ってくれてるんだろうなという実感が常にあった。

 

だからアルツハイマーになっても、私だけは忘れないだろうという自信があった。でも、あっけなく忘れられてしまった。

 

「くみこだよ?わかる?」
と聞いても
「そうなの?」
と答えにならない答えが返ってくる。

 

私は「ああ、そうか」と思った。きて欲しくないときがきてしまったか、と。でも思ったよりも辛さはなくて、しんみりとした寂しさだけがあった。

 

その日秋田は天気が良かったものの、やはり気温はとても低く、最高気温が1度という冬らしい日だった。一方で家の中に入るとみかん箱2つ分ほどの大きさのある石油ストーブがノンストップで炊かれていて、部屋はポカポカと暖かい。

 

私はおばあちゃんと何を話していいかわからず、ぼーっとテレビを観ていると、寒暖差で鼻がムズムズしてきて、ティッシュで鼻をかんだ。帰るときついでににゴミ箱に捨てようとものぐさして、使用済みのティッシュを手に握りしめたままテレビを見続けた私に、おばあちゃんが無言で「それよこしなさい」みたいな顔でふん、と手を差し出してきた。私も無言でティッシュを渡すと、おばあちゃんはティッシュをゴミ箱にポイと捨てた。そして何事もなかったかのようにまたテレビに目をやる。

 

「あぁ、おばあちゃんだ」と思った。几帳面でゴミはすぐに捨てたがったおばあちゃん。もう掃除機かけも掃き掃除もできなくなっちゃったけど、まだその片鱗が残っているような気がして、ちょっと嬉しくなって、そしてまた少し寂しくなった。おばあちゃんはにこにこしながらテレビを観続けていた。

私が急に難しい言葉を使っても聞き流して欲しい

仕事で使うというわけではないんですが、趣味の一環として語彙力をつけていきたいと思っています。

 

だって、その方が素敵な人になれそうだから。そんな理由。

 

「やべー、すげー、いけてる、最高」
も個人的には好きですが、使い分けできるようになれたらいいな、と。

 

読書好きなので、「読む→気になった単語を調べる→使ってみる」というステップでやっていこうと思っています。

 

ここで壁になる要素が2つ。

 

1つ目は「わざわざ難しい言葉を使って頭いいと思われたいんじゃないかコイツは」と思われるんじゃないかという恐怖。下手すればマウンティングともとらえられかねない。
これについては今後、語彙力をつけたいから言ってみたというフォローをいちいち付け足すことによってなんとか回避していこうと思います。めんどくさいやつって思われそうだけど、そこはいたしかたなし。

 

2つ目は、まだ使い慣れてなくて「あれ?これは微妙にニュアンスが違ったかな?」と思ったタイミングでの誰かからの冷たい指摘。(意味が全く違った場合を除く)
いや、わかるんです。私もやってしまいがちだから。でも、伸び伸び成長するためにはさらっと受け流してもらって、できれば後で自分で反省させてほしい。
やっぱり、人間、トライアンドエラーを繰り返さないと学べないので、どうか伸びやかにエラーをさせてほしいんですよね。

 

これって英会話でも言えることで、なんとなく意味が伝わればOKな場面でむやみやたらに間違いを指摘させると、もうやる気削がれちゃう。完璧じゃなきゃ発信しちゃいけないみたいなそういう雰囲気って、いろんな可能性を潰すことになると思う。(自分も反省すべきところはあるなぁと思いつつ)

 

というわけで、今後私はわけわかんないことをたくさん言ったり書いたりするかもしれませんが、どうかあたたかい気持ちで見守っていてほしい。そんなワガママなお願いブログでした( ˘ω˘ )