脱むー通信/ちゃんくみ個人ブログ

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あだ名を変更する

高校二年の春、私はあだ名を変えた。

 

私は物心ついた頃から下の名前二文字を取ってちゃんを付けた、ごくありふれたあだ名で呼ばれてきた。私の平凡な名前に見合った平凡なあだ名であった。でも同時に、それがずっと不満だった。

 

私が高校一年生の頃、世間ではモーニング娘。が大ブームで、苗字呼びがおしゃれ、みたいな風潮があった。モー娘。メンバーがテレビの中で自分のことを苗字で呼ぶたびに、私も苗字で呼ばれたい、いい加減あだ名を変えたい、という欲望がムクムクと膨らんでいった。

 

 

高校二年になり、クラスメイトの顔ぶれがガラッと代わったとき、私は「今だ!」と思った。あだ名を変えるなら、今このタイミングしかない。

 

始業式の放課後、同類っぽい匂いを感じて集まった女子グループのメンバーに、苗字の方を使ったあだ名で呼んでほしい旨を伝えた。たまたまその中に苗字で呼ばれていた子がいたために、なんだかコンビっぽいねとその案はすんなり受け入れられた。私の夢はあっさり叶った。

 

私はその苗字を使ったボーイッシュなあだ名に見合うべく、髪の毛もベリーショートにし、すでに目覚めていたメイクもやめてすっぴんで過ごすようになる。「〇〇って面白い!」、「○○って男前!」と言われ、完全にいい気になっていた。

 

果たして新しいキャラクターを作ることに成功した私は、1年間「新・私」として立ち振る舞った(つもりでいた)。完全に「他者から見られている自分」を思考の中心に置いた生活。自意識が爆発していたんだと思う。

 


三年生に学年が上がると、中学から仲のいいメンバー数人と同じクラスになった。
当然のように昔の下の名前のあだ名で呼ばれるようになったが、一度夢が叶ってしまって満足した私は、特に訂正することもなくそのまま過ごした。

 

そして私は「旧・私」として高校を卒業した。

 

 

数年後、私は赤面することになる。

 

高校二年の時のクラスメイトだけが今も私を苗字で呼ぶのである。そりゃそうだ。彼女たちには何の罪もない。

 

当時の友達が私を苗字で呼ぶたび、他の友達に「二年のクラスの子ってなぜか苗字の方で呼ぶよね?」と言われるたびに、自分の自意識過剰な言動を思い出し、恥ずかしさで爆発してしまいそうになる。

 

 

高校二年の時に思い付きでしてしまった「あだ名の変更」。
それはとんでもない負の遺産となり、今でも私を地味に苦しめ続けている。